ヨーロッパBBS文化 その2

今の若者を見て、残念に思います。いくらでも携帯電話やブロードバンドのインターネットがあっても、昔の民間BBSの独特な気分を味わったことがないのですから。
僕自身がBBS世代の末っ子です。1994年にHSTモデムで初めてBBSに電話してみて完全にハマりました。その時点は、BBSの勢いがまだ良かったです。同年、ビルト首相がインターネットでEメールを米クリントン大統領に送ってインターネットを話題にしましたが、僕らモデム野郎の意見によればインターネットは金持ちのネットだけでした。1994年の若者にとって手に入れにくかったんです。ただで接続できるBBSの方が良かったじゃないですか。2年後、全てが変わりました。

スウェーデンのBBS界には、異国に無い”コマンド対メニュー戦争”が、大昔から戦われました。その理由を探すには、大昔の話をしなければなりません。
スウェーデン初のBBSは、ストックホルム大学のコンピュータ室QZの”Q-centralen"でした。初めては大学の研究家達や、外部の会社の研究家だけを迎えましたが、1981年頃に、ABC-klubbenを通して一般人のために会費を値下げして入会しました。ABC-klubben(ABC-80所有者会)がQ-centralenを見て似たものを作ろうとしました。たちまち、ABC-クルッベンの会員BBS”ABC-monitorn"が始まりました。一方、他方の大学生がQ-centralenのようなBBSを設立しようとしてそのBBSソフトのクローンを作り始めました。
Q-centralenのホストソフトはKOM(コマンドの略)と呼ばれ、PDPやDECsystemで動いていました。KOMの由来は大学では無かったのです。もともと、KOMの生まれた場所は軍事研究所FoAでした。KOMの本当の姿は、軍隊の協力通信ソフトでした。となると、インターネットの弟分でしょう。なぜなら、インターネット技術の大部分は米軍の研究資金によって発明されたですから。
民間アクセスが認められた途端、KOMのクローンソフトが全国に出ました。リンヒェーピング大学のパソコンクラブのLysKomや、アミガのNew Touchがその例です。New TouchがNT Proになった90年代初期、NTのクローンソフトが1人のプログラマNiklas Lindholmにより作られました。自分の名前をソフトに付けてNiKomを産みました。ニコムがシスオペ側でもユーザー側でも人気を集めていちはやくKOMクローンの一位を獲得しました。

で、はたしてKOMはどう操作しますか?
ログインした後、プロムトがあります。プロムトの内容は、次行なうコマンドです。他のコマンドを入力せずにただエンターをおすと、コマンドが実行されます。例えば:
(メール を 読む)ー>
*ここでエンターを押せばメールが読めます。または他のコマンドを書けばそういう自由なコマンドを実行します。例えば:
(メール を 読む)ー>つぎ の かいぎ
*そうすると次の”会議”に移動します。ボード又は掲示板を会議と呼ぶのはKOMの由来と関係がありそうです。他の例:
(メール を 読む)ー>つ の か
*次の会議に移動します。コマンドの全てを書かずに済むのです。
(メール を 読む)ー>つぎ の か
 シスオペから一言へ移動します。
 未読のメッセージ数:2
(次 の メッセージ を 読む)
*プロムトの中のコマンドが見てのとおり素直に変わります。あと、スレが自動的に管理されていますからスレを読むのはとても便利。
早い操作法やスレの管理があったため、KOM掲示板の特徴がその長い会話や論争でした。一方、メニュー板のファイルシステムが優れて海賊BBSに最適でした。ファイルを会話より大切にするシスオペ、又はANSIアート好きのシスオペは、メニューソフトを使いました。外国のBBSはほとんどメニュー板だったみたいですが。

現在にも、ニコムBBSが数件あります。みんながtelnet対応なのです。最大はFabbes BBS、その他は残念ながら植物状態です。